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【院長】 田中 紀一1999年3月 奥羽大学卒業 |
私は昭和44年に当院近くの埼玉県飯能市で生まれました。
祖父も父も河原町で内科を営む医者の家系です。
幼い頃から、医療に携わる父と祖父の背中を見て育ち
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と言われながら育ってきました。
あだ名は「紀一」
小学校は飯能第一小学校に通っておりました。
小学校の頃は短距離走が好きな、いたって普通の小学生でした。
しかし小学校3年生の時に、その後の私のキャラが決まる出来事が起きました。
ある朝の朝礼での出来事・・
夏休み明けで、朝礼で自由研究の表彰式がありました。
表彰者が呼ばれ朝礼台に上って表彰されるのですが・・・
校長先生 「3年3組 田中キイチ君」
「・・・・」
友達A 「おい、田中お前じゃねーのか?」
友達B 「キイチだってよ、キイチ」
私 「あのー、名前が違うんですけど・・・・」
私の名前は「田中紀一」と書いて「タナカノリカズ」と読むのですが、よくあることで、名前を間違えて読まれてしまったのです。
それ以来、中学・高校・大学そして今もずっと友達は私を「キイチ」と呼びます。
(患者さんも気軽に「キイチ先生」とでも呼んでください!)
中学時代
中学時代は水泳や陸上など色々なスポーツをしておりましたが、中でもボクシングにハマり(やるほうではなく見るほうに)、特に鬼塚選手(WBAスーパーフライ級世界チャンピオン)が大好きで、毎試合後楽園ホールに足を運んでいました。
その時の映像が深夜のテレビに映っていた時は本当に嬉しかったです。
何かに熱中したのはボクシングが最初だったと思います。
高校時代
高校は都内にある海城高校に進学することになるのですが、高校でもスポーツに熱中しておりました。
当時テレビドラマで山下真司主演の「スクール☆ウォーズ」(数年前に照栄が主演で映画化もされていました)が流行っていて、それに影響を受け、部室の扉をたたくのですが、防具やヘルメットを付けらされ、「どうもイメージと違うなぁ・・」と考えていたら、ラグビー部ではなく、
アメリカン・フットボール部に入っていました。
しかし、団体競技で培われるチームプレーや、一つのことに全力で取り組む大切さをアメリカン・フットボールを通して学べたのは私の財産となっております。
この経験は今、クリニックを開業して改めて大切さ実感し、活かされております。
大学時代
大学は福島県にある奥羽大学歯学部に入学しました。
大学では入学してすぐに問題が起きました・・・・
大学では高校が男子校だったこともあり男臭くなく、さらに個人競技のスポーツをやりたいなと漠然と思っていました。
しかし、そんな新入生に優しく声をかけてくれる先輩がいました。
「高校の時に何かやってた?」
「実はアメフトを・・・・」
「おおっ!!経験者だってよぉ!」と大柄な体格をした、複数の男性に連れて行かれてしまいました。目の前に出てきた扉にはまたもや・・・アメフト部。
結局大学生活も汗にまみれたアメフトの毎日でした。
大学での部活では縦の関係も横の関係も連携が強く、「絆」の大切さを実感しました。
そのため田中歯科クリニックでは患者さんと先生の関係を超えた「絆」作りを意識して毎日治療を行っております。
卒業後から現在まで
卒業後は東京や埼玉にあるいくつかの歯科医院に勤務をして、「どんな治療にでも対処出来るよう」経験を積んできました。
実際の臨床(現場での治療)以外にも研究会やセミナーに参加をして「実践的な技術」の向上に努めてきました。
そして2007年7月にこの地で開業をして、地域医療の発展に力を入れて日々診療しております。
常に意識をし、いつも追い求めているのは父や祖父から教えられた「知識と技術とそして何より真心を持って患者さんに接する」ことです。